新聞紙面に「アメリカ大使謝罪せず」とかいう文字が見えてうんざりしました
同時期に日韓併合100年で菅総理が韓国に謝罪するのを売国奴と呼びながら、もう片一方では原爆投下について謝罪しろというのか?
国の併合と一般市民の大量虐殺、次元は全然違うものとしてもなんだか違和感を感じざるを得ない

違和感と言えば広島市長が非核三原則をちゃんと履行せよと理想論をぶちまけたのに対し、菅総理が核を落とされないように抑止力は必要という現実論を唱えて見事に噛み合わない
この件についてだけ言えば菅総理の方が正しいと思える
日本は最近話題になっている北朝鮮だけでなく、元来ずっとロシアや中国の核の影響下に置かれており、それを打ち消すためにアメリカの核の傘を使ってきたわけだが、それをただ嫌いだからという理由で外してしまえば余計に核の影響が強まり好ましくない状態に陥る、それが外交っていうものなんだけどね
極論から言えば、日本が二度と核兵器の被害に合いたくなければ自らがそれなりの性能を持った核兵器を自国で持たないといけないという理屈になるのだが、そこを議論もできないような風潮にどうしても8月のこの時期はなってしまうよね

こういう話をすると「被爆者の気持ちを考えろ!」という輩が出てきます
考えるもなにも、我が身内に被爆者いますけど、別に核の廃絶だとか非核三原則の徹底だとか、そういうこと一切言ってませんから、すべての被爆者を代表した意見ですって報道されるのは甚だ迷惑なんですよね
その身内ももう高齢です、被爆のことは語りたがりませんし、人前で余程のことがない限り被爆者手帳も見せたがりません
夏休みのこの時期、遊びに行ったりするとちょうど長崎の原爆投下の時期と重なったりして、その映像を見ると思い出すのでしょうか?ちょっとだけお話をしてくれる時もありましたが原爆や核なんて言葉じゃなく「ピカドン」とか「ピカ」という呼び方をしております、今この言葉はメディアでは使えないんでしたっけ?その言葉がそのまま差別用語みたいになったから配慮しているんですか?でも本当は当時のその言葉をそのまま使うべきじゃないのでしょうか?
日本が終戦間際にやられたのは確実に一般市民の大量虐殺です、それは兵器の問題ではありません、焼夷弾で焼かれた人も多くいらっしゃいます、でもその象徴が核兵器になってしまってはいませんか?
二度と核兵器を使われたくなければどうすればいいのかも当然重要です、しかしそれよりももっと根本的な、日本国民が二度と空襲に怯えなくてもいい環境を作るためにはという体制を作る方が重要だと思うのですけど、そういう議論は全くもって出てこないですよね

もう我々の世代になってくると核とか9条には違和感をお持ちの方も多いと思うんです
それを本当の核の恐ろしさを理解していないだとか戦争の怖さを理解していないとおっしゃる大先輩もいらっしゃるのですけれど、怖いから目を瞑るのではなく、怖いから予防をしようと言う話をしたいのです
その意識のズレがどうしてもこの8月には起こりやすいのではないかと思うのですよね