なんだかこのところ地方分権について議論をふっかけられることが多い

でもこれって今の次元の話でいけば是か非かだけで言葉遊びをするための道具にしかすぎないんだ
結局のところ地方分権はいいけどほとんどの人の脳裏にはすでに道州制があり、その道州単位で予算もある程度持てて決定ができるということを示しているのかと思う
もしくは知事とかが集まっている映像を見て県単位でと思っている人も多いのだろう
現状で小泉竹中批判を繰り返すようなステレオタイプな戦犯論は無視するとして
なぜだかこの閉塞感を地方分権すれば全て解決されるかのように思っていらっしゃる地方在住者が居られたら逆に不幸な結果を招くかもしれない
地方のことは地方で決める
知事などがたまに出てきておっしゃる言葉、まあそれはその通りな部分もある
地方で財源はあるのに規制でできないとか、市が建物を改装しようとしたが財源がなく、県や国の補助金を使おうとしたら改装じゃなくて立て直しじゃなきゃだめだとか
そういうのは地方の事業をどこが主体として遂行するかのお話、国、県、市のコミュニケーションルールとかその辺りのお話になる
結局は決裁者に金がないことによって起こる不幸だったりするわけだから財源をよこせというのがひょっとしてまともな意見なのか?と思えてくるから不思議だ
しかし現実に考えれば、地方に財源を渡して事業をやれったって財源的に独立できている地方自治体がどれだけになるかと言えばほとんどの地方自治体は成り立たなくなるわけだ
結局財源を含めて全部地方でやれっていってもできないのにどうやって地方を自立させていくかってのが地方分権の問題点なんだよね
別に霞が関の官僚が利権を手放したくなくてやれないわけじゃないってこと
この問題、極論から言えば「だれがどの事業に関して責任を持って遂行します!と約束し、それを遂行させていくのか」ということに尽きるわけ
地方の学校の建て替え問題の時もそう
改装したいのに金がない、だから国から補助金をもらおうとしたけど補助金は建て替える場合にしかでない
だから壊したくないけど壊そう
一見制度のせいにしているかのように見えるが、実際には市単独で事業を起こせばできるわけだ
金がないという言い訳で補助金もらって市の負担を軽減させ、責任を国と納税者に転化しているから話が複雑になる
市民の財産なんだから市の借金、もしくは市民からの募金で改装すればいいじゃないかとだれも言い出さないところに地方分権の病が存在しているということ!
地方分権は制度問題の部分も確かに多いんだけど、地方自治を構成している市民全員の問題です
今言われている地方分権をしたってダメなものはダメ
市民のレベル以上に市政がよくなることはなし、県民のレベル以上に県政がよくなることもなし
事業を起こすならば金だけじゃだめだ!計画と、そしてなにより情熱がいる!
地方分権にはまだまだ足りない物が多そうなんだけど、それでも急いでやるべきか?