8月と言えば広島、長崎、そして終戦記念日である
日本国民であれば毎年それはそれは重苦しい雰囲気になる月であり、さらにはイデオロギーのぶつかり合う月でもある
さらに今年は福島第一原子力発電所事故のこともあり、広島や長崎が騒然とさせられることに懸念を持っている
被害に合っている方々のことを差し置いて、国への批判の道具と成すのはいかがなものか?
現段階で国の情報開示や対応に不満があることは理解できても、それを批判する道具として被爆者を利用するような、そんな主義主張はおかしいと思うのです

あまり長く書くと収集がつかなくなるので短めに抑えておきます

さて、原子力と並んで我が国ではまったくもって議論にならない問題があります、憲法9条含む安全保障並びに勝手に作られた歴史認識問題というヤツです
これらを冷静に語り、リスクとリターンを見ながら運用することこそ最大の国益となると思うのですが、どうも噛み合わないのです
おかげで立派な装備がありながら、運用規定があやふや過ぎるので運用できない、そういう国防体制になってしまっております、非常に残念なことです
そしてまた8月15日がやってきます
不幸中の幸いといいますか、民主党政権になってから靖国神社参拝の問題が出ることはありません、彼らはその思想から参拝をしないからです
その態度がどうか?という問題意識はあれど、あのような意味不明の論争にもう靖国神社を巻き込まないでいただきたいと思うのです

靖国神社参拝の問題点、などとして嬉々としてA級戦犯だのという話題に夢中になる姿を見ていてぞっとするのです
かつて我が国は戦争をしました、戦争に向かう経緯や事情に置いて責任論などが出るのは確かかと思いますが、それでも挙国一致で戦争を遂行いたしました
現代人の我々がやらなければいけない本当の責任論とは、当時どういう体制が、どういう判断が、どういう人材育成が悪かったか、それと同じことはしないという歴史に学ぶという行為のはずです
嬉々として◯◯は無能、だとか◯◯のせいで、などと個人に責任を被せて自分たちの責任を回避する行動を取ることではないと思うのです
そしてさらに、靖国神社で会おう!と約束をして死んでいったご先祖様方に、ありがとうございます、日本は今も元気ですとお伝えすることこそが子孫の勤めかと思う次第

賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ

果たしてあの無謀な戦争にズルズルと突入していった経緯や組織や世論と、今現在の状況を比較して、我々は二度とあのようなわけのわからない戦争に突入しないという保証はありますか?
災害に対し、無能である政府を見て、民主主義の限界だ!と簡単に放り投げてしまってはいませんか?
かつて我党ではなく、現在の与党がこうおっしゃいました
「日本を諦めない!」
今ではお前が言うな大賞を差し上げたいお言葉だと思っております

久しぶりのブログ更新ですが、私は政治を諦めたわけではありません
TwitterやFacebookなどではおちゃらけたことばかり書いているかも知れませんが、自分自身も民主主義を諦めないことを固く決意し、そのような主義主張をさせていただいておるつもりであります
人間投げたらアカン、というかつてのCMの名台詞をご紹介して久しぶりのブログ投稿を締めたいと思います

最後に、ご地元には必ず護国神社があると思います
お盆のお忙しい中かとは思いますが、是非ともかつてのご先祖様のことを思い、一度は手を合わせに行ってみてくださいますようお願い申し上げます