我が国の敗戦の日ではなく、昨年夏に我が陣営が負けた夏の日のことであります
2009年8月30日、第45回衆議院議員総選挙にて我々は逆風の中、政権交代よりも世代交代だと訴えて選挙戦を戦って、そして負けたのでした
負けて一番悔しいのは当然候補者本人だと思いますが、我々だって悔しいものです
そして秘書としての勤務日数が少ない私は失業保険がでないので敗戦に打ちひしがれている余裕もなく、ちょうど1年前の今日9月1日から個人事業主として再独立、という立派なものでもなんでもなくなんでもいいから仕事くださいとお願いをして回っていただけの存在でした
「あんた、金くれ票くれってお願いばかりしてきて、最後親分が落ちたら仕事くれかよ、うちのグウタラ息子よりもっとタチの悪いくれくれ君だな。」
なんて言われながら、それでもなんとか今まで1年生きて来られたのも名古屋の温かさに甘えさせていただいてきたからだと思っております

それでもなんとか次回の選挙に親分が当選するためにどういう活動をしていこうか、自分自身の政治活動もどうやって活動しようかと悩んでいた矢先に突然の親分離党、選挙が終わって2ヶ月半しか経っていない秋のことでした
賛否のある行為であると思います、私個人としては政治家本人が選択したことをどうこう言うつもりはまったくありませんが、しかし暑い中選挙を手伝っていただいた方々に説明もないままに飛び出されてしまったのでは筋が通らないと思いまして袂を分かつことを宣言させていただいたのです
同い年であり、彼の真面目さに惹かれていただけに残念なことではありますが、それも人生の選択の一つだと思い、納得することに勤めました
そもそも私は商売柄、選挙区と被る愛知一区内を中心に動くことが多く、出入りさせていただいております会社さんなんかでも
「あれはどうした?お前の親分は。おまえもみんなの党に行ったんだろ?」
なんてこともしばしば言われますが、私は親分が離党してから一切親分と連絡も取っておりません
時折風の噂に、というか名古屋は狭いので我々のような経済人同士の集まりにいけば否が応にも噂を耳にすることもありまして、その度にがんばってるんだなって思う程度でしか接点がないのが現状であります

悲しいかな、こういう落ちた候補者の元秘書というだけでなく、他の党に親分が移籍してしまって自分自身だけ残されてしまった後ろ盾のない立場というのは本当に辛いことだとわかります
特に名古屋の政局が荒れている現時点では自分の名前が出てくると大体ロクでもない話であることが多いのです
私の同僚は4人おりました
一人は政策秘書として今も国会議員の先生に仕える身、そしてもう一人の上司が地元の先生のところでお世話になっている以外は私も含めて3人が野に下っております
私はちらほらですが、本業の合間に我党の活動に参加しているつもりでおります、それでも噂とは残酷なモノで本人の意思とは関係なく面白おかしく飛びまわるモノです
他の元同僚達も同様に傷ついたりしているのでしょうか?

ちょうど敗戦から1年、お互いに生活を立ち上げ直した頃だとも思いますのでそろそろみんな集まって戦友として励ましあう会でもやろうかと思っております
さすがに濃い内容の話題が出そうなのでUstやツイキャスでは中継できないと思いますw