今年の初めから、いや実際には昨年4月に河村市長が地域政党を立ち上げてからの流れなのだが、政治家の仕事とはなにか?と問われ続けているわけだ
私のように政治家を目指す人間にしてみたら本当にバカらしいとさえ思えたこの問いかけなのだが、想像以上に反響が大きくて驚いたわけだ
マスコミでは、特に他地域の報道では減税ばかりがクローズアップされるが、実際に愛知県民の感覚としては議員報酬の話の方が反応が大きいと感じる
つまり政治家はロクに働いていないのに高給を貪っているという評価がなされているわけだ
この感覚に本当にびっくりしてしまうわけだ

政治家を目指す人間がもっとも高いと感じるハードルは実はこの資金なのだからです

選挙を戦うのに数百万円、その後の政治活動も真面目にやればやるほど大赤字、政治活動か金集めかよくわからなくなることもしばしば
地方議員事務所の事務員や秘書と呼ばれている人の給料を聞いたら本当にびっくりするかも知れないがそこは報酬削減したい人達は言ってくれないわけだ
結局これらの、ってか我々というべきだが、書生生活を勤めながら勉強し、そして将来自分も政治家になろうと耐え忍ぶわけだが、実際にそういう思いがなければ勤めきれないだろう
そういう人達の勉強の場がなくなってしまうということにまで思いが至っているのかどうか
少なくとも給料がいただけて勉強できる場を取り上げないでいただきたいと思うわけだ

思わず脱線するところだったw

政治家の仕事が見えないのでそれに対する給料が見えない時代となっているんでしょう
戦後の復興から高度経済成長期まではとにかく足りないと思われるものをガンガン作る時代、こういう時代の政治家像は非常に分かりやすかったわけですが、今現在はそれら建てられたインフラのメンテナンス期なわけで
それらのメンテナンスに金を掛けないようにという政策が受けるのもそういうこと
そうなればメンテナンス役に回っている政治家や公務員がこんなに数いるの?とか給料とるの?と思う人も多くなるだろう
実際に組織の無駄みたいなのはまだまだあるし、無駄に多い書類も非効率な作業もまだまだあるのでそれらは改善すべきだろうが、だからと言って政治家の報酬半減はいきなりすぎやしないか?
ちゃんとどういう仕事をしていて、どれくらいの経費がかかっているか把握してからでもいいんじゃないか?と思うんだよね
そして市長や県知事が圧勝し、市議会選挙でも市長派が第一党になる躍進をするわけだが、市議会選挙途中にて東日本大震災が起こってそれまでお祭りムードだったこの流れを本気で考えなきゃいけない局面に至っているわけです

政治家というのは国や県や市町村でそれぞれ役割は違えど、基本は国民の生命と財産を守るのが仕事です
この想定できない大被害を出した震災の対応を国の仕事だと傍観するのが地方議員の姿なのか?否だ!と即答で答えられる政治家かどうかを私は見極めるべきだと思うわけです
地方から国を変える!と息巻いている地方の首長さんや議員さんがたくさんいるが、声を出し、行動している政治家かどうか、これは見ていればはっきりする
募金活動も無駄ではないが、それが本当に政治家のする仕事か?と思うわけです
政治家の仕事っていうのは決断をすること、国の仕事だからと諦めているような地方議員なら給料800万円でも高い、こういう時こそ声を上げ動く政治家こそを選ぶべきじゃないのか?
つまりは政治家の原点である国民の生命と財産を守る仕事というのがはっきりしたのだと思っております
お祭り騒ぎのような流れから始まったこの政治家とはなにか?という問いかけが、災害によってまさに本気で問われているわけです

愛知県はそれほど遠くない時期に東海地震、東南海地震が来ると言われております
阪神淡路大震災を経て中越沖地震を経て東日本大震災では災害活動が行われております、さらに今この東日本大震災の教訓を経て次の災害対策が練られることでしょう
愛知県はそれこそ人事ではないのです、もし自分たちが同じ立場になったとき、どうして欲しいのかを真剣に考える必要があります
関西圏の自治体が被災者受け入れに積極的なのは阪神淡路大震災の経験があるからでしょう、明日は我が身の愛知県がなぜこれほど動きが遅いのかまったく理解ができません
ちなみにあまり記事にはしていただけませんでしたが、自由民主党愛知県連としまして知事にもっと大規模な被災者受け入れを提言しておりました
それを受けてなのか、それとも知事が元々お考えだったのかわかりませんがやっとこさ民間にも協力を求めております

3月初めまでのお祭りムードは自分が一体なんで政治家になりたかったのか見失うのに十分でした
そういう意味でも今回の震災は自分自身がもっとも猛烈に政治を目指さねばと思ったあのPKO議論の時のことを思い出させてくれたのです
現役自衛官としてあの議論は聞くに耐えかねました、憲法と我々自衛官の命、どっちが大切なのかというあの気持
国民の生命と財産を守るために危険な任務でも果たす決意はしておりましたが、それを弄ぶかのようなあの議論、本来政治家こそが国民の生命と財産を守るために真剣にならねばいけないはずなのに、これではいけないと思い悩んだ東京での日々
18歳、19歳の頃の記憶を20年経って思い出させてくれたのです、そしてなぜあれから20年経過した今、自分はまだバッジを付けていないのか、バッジを付けるために手を挙げていなかったのかと猛烈に反省をいたしました
安全保障をやりたいので衆議院議員で出たい、頑なにそう思っておりましたが、今の親分は県会議員の身で立派に日本国家のことを考えて提言をしております
国で足らないことは県や市町村が補えばいい、それらすべてを持ってして日本国なのだから当たり前なわけですが、自分自身の視野の狭さを思い知らされました
同時にバッジを付けていなければできない仕事ばかり、今の自分は所詮ただの一書生にしか過ぎないわけで、力が欲しいと心から思いました

少々青年の主張ばりに脱線し続けているのでここいらで本題に戻します

劇場型政治と言われて、その流れの中に愛知県は飲み込まれていた感じがあったかと思うわけですがこれを機に変わるのかどうか
まさに4月1日から行われる統一地方選挙で問われるわけです
だからこそ今、この文章を呼んだあなたに問いたい
あなたが思う政治家の仕事とはなんですか?
投票に行く前にちょっとだけで構いません、一度自分自身に問うてください、そして他の人とお話をしてみてください
少しでも政治に関わっている人間としてのお願いです