お祭りこそ最大の町おこしイベントである!

三月十五日、地元小牧市にあります田県神社にて豊年祭が行われました
この豊年祭、味岡中学校と岩崎中学校のOBによって継承されておりますお祭りでして、厄年には神輿を担いで練り歩くわけです
今年はまさに我々の同級生一同で子丑会を結成、幹事の皆様の采配の元に83名が結集してのお祭りとなりました

午前中は献餅行列を行います
農協から田県神社まで、お餅を奉納しにいくわけです
リアカーやトラックを飾り付け、道路をゆっくりと田県神社まで、途中沿道に見に来た方にお酒を振るまいながらの行列です

午後からはいよいよご神体を乗せた神輿を担ぎます
今年は熊野神社からの下り道、白装束に着替えまして担ぐわけです
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ご神体が男性の象徴であるため、海外からも多くの観光客が訪れるこのお祭り
沿道からは肌や目の色の違う人からもワッショーイという掛け声が響きます
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熊野神社を下り、県道102号線を数百メートル片側通行にしていただいて田県神社まで、3チームが交代しながらのワッショーイ
平日であるにも関わらず多くの見物客が沿道を埋め尽くしておりました
そして最後はお餅投げ
我々の代表である幹事の皆様も午前中に運んできた餅を投げてお祭りの終了となりました

地元の歴史と伝統あるお祭りではありますが、社会情勢と共にこういうお祭りというのはとても肩身の狭い思いをしているのが現状です
地元のお祭りなので地元の人間が道路が封鎖されてたり騒がしくされていたりしてもお祭りだからしょうがないと思えるのでしょうが、今この交通社会となってしまっては県道102号線は我々地元の人間以外の人にとっても大きな交通インフラであります
事前にお祭り告知をしてはありますが、当日実際に渋滞に巻き込まれたりすればイラっとすることでしょう
また、小牧市に引っ越して来たばかりでこのお祭りの存在を知らなかった人にとっても、例えば夜勤明けに寝ようと思ったら外が騒がしいなどでイラっとすることもあるでしょう
時代の流れと変化によって人の行動範囲が大きく変わってしまっているので本当に歴史と伝統を繋いでいくには難しい状況なのかも知れません

今年度、町おこしの事業に少しばかり携わらせていただきました
過疎地などを見ていると、まず学校がなくなります
我々が生活をしていると市町村が最低行政単位となりますが、さらにその市町村が区分けをする際に用いられるのが学校を単位とした学区なわけですが、その学校も行政サービスである以上、子供の数が少なくなれば合併や廃校などという措置を取られてしまいなくなってしまうのです
この文章の冒頭に遡ってください、我々のお祭りも味岡中学校、そして岩崎中学校の両校の学区で行われておりますが、この学校がなくなってしまうとこのお祭りの参加者を募る最低単位がなくなるということになってしまうのです
こうなった時、最低単位として地元に最後に残るのはなんですか?
日本に置いてはお寺や神社ということになるわけです

日本における神様という存在を言葉に表したとき
「だれかがそこに居ると思ってくれていればそこに存在するのが神様である。」
とご説明させていただくことがあります
集落ができるとそこに必ず神社ができます、そこに住む人達は種まきをする時には豊作を祈り、収穫が終わるとその収穫を祝ってお祭りをするわけです
人がそこに住み続ければ神様は祀られ続け、お祭りも続いていくわけですが、不幸にもそこに人が住まなくなってしまえば神社は放置されてしまい寂れてしまうわけです
ちょうど人気番組鉄腕ダッシュにてダッシュ島に残された神社があったのを思い出していただければいいのです
ダッシュ島でも一番最初に掃除をしたのが神社であったように、日本では集落の中心にいつでも神社があり、その数だけ神様がいらっしゃるので八万の神と呼ばれているわけです
時代の流れと共に通信も交通も進化して人のコミュニケーションも行動範囲も大きく変化をしてしまいました
それにより、地元という概念も大きく変化をせざるを得なかったのも事実であります
コミュニケーションが変われば社会が変わる、仕方のないことなのかもしれません

昨今、愛国心という言葉が使われることが多くなりました、私個人としては非常に嬉しいことでありますが、言葉だけの愛国心ではさもしいというものです
本当の愛国心とは何かといえば家族愛であり郷土愛であり、その郷土を守るというのは究極に置いては命をかけて戦うということでありますがそれはあくまでも究極の話であって、本来の意であれば郷土の伝統と文化を引き継いでいくことに他ならないわけです
勇ましく中国と、韓国と、ロシアと戦うぞ!という気合いも結構なのですが、人はだれにでも故郷があるわけで、その故郷のお祭りのことも思い出してみてください
急いでいるのに渋滞に巻き込まれるとイラっとするかも知れませんが、ここの土地にはこういう伝統と文化がちゃんと継承されているんだなと思い直すことができると思うのです

最後に過疎の村を見てきて私が思ったことを少々書かせてください
名古屋では河村市長が台頭した当たりから、全国的にも大阪で橋下市長が府知事になった当たりから大都市の理屈を振り回すことが多くなったように思うのです
これも時代の流れですので生産効率の高い大都市に人材や資本の選択と集中をすべきだという意味では正しいのかも知れません
一方で切り捨てられるその他の地方はたまったもんじゃないわけです、合併と言われれば聞こえはいいかも知れませんが日本各地に祀られていた八万の神の数が減っているということになり、お祭りの数もどんどん減っているわけです
このどちらが正しいのか、もしくは妥協点はあるのかないのか
これを考えていただくことこそがまさに地方分権の出発点になるのではないかと思うのです
そして冒頭に戻ります

お祭りこそ最大の町おこしイベントである!

この意味を改めて考えていただくきっかけになればと思い書き留めさせていただきました