ちょうど1年前にあの大震災が起こった
その衝撃は言うまでもなく、地震から津波そして原発事故へと発展し、今でも復興の途中である
ある人は時の政権の拙い対応を批判し、ある人は東電の隠蔽体質を忌み嫌い、そして長らく政権を司っていた自民党の腐敗と言う人達も多い
その中で迎えた1年の節目、当然多様な意見や考え方があってしかるべきなのだが、そもそも論を展開すれば「あんな大きな地震があの場所で起こるなんて思いも寄っらなかった」ということであり、自然の力の偉大さと、人間の無力さを徹底的に思い知らされたわけで、地震が起こったから被災したということに思いを巡らせていただきたいのです

我々は問題が起こるとすぐに問題点を出し、それに対する早急なる対応を求めます
しかしながらITという時間と距離を超えた道具を使う我々は時に陥りやすい罠にハマることがあるわけです
確かに管政権の対応はまずかったかも知れません、たしかに原発があんな場所になんの対応も取れぬまま存在していたことが問題かもしれません、しかしそれらがなくてもあの場所に地震は起こり、津波は襲ってきたわけで、それらを全て人災ですなんて言えるほどにまで人間は増長してしまったのか?ということです
だれかが悪い、そのだれかに陥りやすいのは偉い人で、偉い人さえ批判しておけばとりあえず間違いない風潮ではありますが、あの地震を、あの津波を想定しろったってなかなか難しいことは理解に難くないはずです
今日、我々がしなきゃならないのは、だれのせいにもできない大災害の根幹、ではなく、起こってしまった大災害の被害にあわれた方のことを思い出すということではないのでしょうか?
様々なテレビが1年を振り返った特集をしておりました
いろんな意見、いろんな考え方が出てくるのは当然ですがその前に、人として、亡くなられた方へ手を合わせるということを忘れてはいやしないか?という危惧を感じてしまいましたので敢えて記事として残します
せめて今日くらいは静かに亡くなられた方に手を合わせないか?そして必要とあらば明日からまたどんどん事故対応のまずさ、隠蔽されていた情報などを暴いていただければいいと思っております

本日の最後になりましたが、お亡くなりになられた方にお悔やみを申し上げますと共に、まだ見つかっていない方々の一日も早い発見を切に願いこの記事を締めたいと思います